Description: 東京都港区赤坂。鰻屋「重箱」の公式ホームページです。八代目店主挨拶、献立、お座敷、ご案内など。
蒲焼き (31) 重箱 (16) unagi (14) 鯉こく (1) juubako (1)
昔、江戸前とは鰻のことを意味しておりました。 それほどまでに江戸の人に愛されていた鰻は、 江戸の食文化そのものであると考えています。 江戸ッ子が「せかすのは野暮」とやせ我慢をして待ったのが鰻です。 先祖から伝わる技術とご贔屓からの信頼は、 江戸の飢饉や明治維新を乗り越え、大正の関東大震災にも萎えず、 世界大戦下では疎開し、しなやかに引き継いでおります。 これからも、全うな店、お得意様に信頼される店、 格を重んじる店として育てて頂ければと思います。 晴れの日、特別な方との語らい、日常とは違う空間で 少しばかりの贅沢を楽しむ鰻屋が「重箱」です。 すっきりとした江戸文化を楽しみ、 大人が楽しむ鰻屋としてお見知りおき下さい。
晴れの日、特別な方との語らい、 日常とは違う空間で少しばかりの贅沢を 楽しむ鰻屋が「重箱」です。 すっきりとした江戸文化を楽しみ、 大人が楽しむ鰻屋としてお見知りおき下さい。
おれのところの先祖ってものは、相州厚木の在の造り酒屋の二男坊で、 名まえを儀平といったというんだが、それが、いつのまにか、儀兵衛 になった。……儀兵衛のほうが、一応もっともらしく聞こえるからだ ろうナ。……それは、まァ、どッちでもいいとして、とにかく、この 人が、手のつけられない道楽もので、みごと家を勘当され、しょうこ となしに、あてもなく江戸に来たものだ。……からだが大きく、それ だけにまた力のあったことから、軽子になった。いまでいえば、小運送だ。 ……よくは分からないが、おそらく、二十四か五のときだろうナ。…… いまをさる百何十年まえ、文化とか、文政とかいった時分のことだ…… が、軽子じゃァ、いくら身を粉にしたところで、稼ぎは知れてる。 さきの見込みだってない。そこで、千住にあった鮒屋新兵衛という 川魚問屋に住みこんだ。安全な主人もちになったッてわけだ。……ちゃんと、 無事何年かつとめ上げて、やがて暖簾をわけてもらい、大橋の近くに、 メソッコうなぎを焼いてうる屋台店をだした。……のが、鮒儀こと鮒屋義兵衛 というもののこの世に生れでたそもそもで、 その後、また、何年か相立ち申したとき、浅草の山谷に、 野放し